安佐北区 山陽鉄道

山陽鉄道(現、JR山陽本線)が糸崎~広島間に開通したのが、明治27年(1896)。同30年には広島~徳山間が開通し、設置駅に横川、西広島(己斐)、宮島口、大竹などとともに廿日市駅の名があった。

住吉堤防敷

木材港の南北を結ぶ榎浦(えのうら)大橋東詰から、昭北グラウンドに向かってゆるやかに伸びる総延長610mの堤防敷。その道の両側に、合わせて330本の桜が植樹されている。住吉堤防敷は、シーズンになると木々が色鮮やかな桜並木へと彩りを変える、廿日市市有数の花名所である。桜の開花前後には約300本のぼんぼりも灯され、幻想的な世界を演出する。桜が満開を迎える4月第1日曜日には桜まつりが周辺一帯で催され、多くの人出で賑わう。

JR廿日市駅

廿日市駅は明治30年(1899)、山陽鉄道広島~徳山間開通時に設置された、100年余の伝統を持つ駅舎である。霜雪を経る中で改築を重ね、往事の面影は今、跨線橋に残されるのみ。周辺は町中の駅にも似ず、ゆったりとした時間の流れを感じさせてくれる落ち着いた雰囲気。終戦後、上り線ホームに沿ってたくさんの桜が植えられた。以来大きく育ち、現在23本が残る。春になれば可憐な花々を芽吹かせ、車窓越しに乗客の目を楽しませている。

極楽寺

美しいモミの原生林に囲まれた極楽寺。約30年前、その境内一帯に約100本の山モミジが植樹された。今も残る30本のモミジが朱に色づく季節は、紅葉の名所として親しまれている。例年見頃を迎える11月初旬から中旬にかけては、原生林の中をめぐる登山道や遊歩道をゆっくり楽しむにもうってつけの時期である。瀬戸内海の景観を一望する境内の展望台周辺では、お弁当を広げる家族連れなど、行楽の秋を満喫する人で賑わう。

けん玉

大正7年(1918)10月、広島県呉市の江草濱次氏が、明治期のけん玉に受け皿を取り付けた新型「日月ボール」を考案。翌8年5月、実用新案として登録した。大正10年、廿日市のろくろ木工場、本郷木工(現在、(株)本郷)を江草氏が訪れ、けん玉づくりが廿日市で始まった。大正12年から昭和5年頃までけん玉は全国的に流行し、やがては満州、台湾にまで販路を拡張した。

さくらの里

品種の異なる桜を植栽し、市の木である桜をアピールするとともに、自然の中で楽しみながら桜について観察できる場として整備された公園。約2.4haの整備区域に242本の山桜、染井吉野、大島桜、八重桜などが植えられている。園内には桜の観察園や展望所、芝生広場のほか、休憩所やトイレが備えられ、極楽寺やアルカディアビレッジへと至る延長790mの遊歩道を整備。楓や紅葉などの落葉樹も植栽され、年間を通じて森の景観的な変化を楽しめる。

洞雲寺

桜尾城主藤原教親(のりちか)が一族の菩提寺として創建。四季を通じて景観が美しく、由緒ある禅寺として崇められている洞雲寺。その境内には八重桜、染井吉野が合わせて5本、参道わきには樹齢の古い9本の桜の木。数は少ないが、鷺(さぎ)の森を借景とした桜はひとしおの風情。昭和51年には佐方小学校へ抜ける道沿いにも21本の桜が植樹され、3月下旬から4月中旬にかけて花が色づく季節は、参道で花見を楽しむ人で賑わう。

桂公園

大正2年(1914)に開園した、廿日市市で最も古い公園。桜尾城主桂元澄(かつらもとずみ)の子孫、桂太郎公爵が大正元年、桜尾城址を永久的に保存するため、当時の廿日市町に寄贈したことから桂公園の名がつけられた。園内には樹木が豊富で、樹齢の古い桜も数多くある。春には約120本の桜が美しい、花名所としても知られ、毎年3月下旬から4月上旬にかけて多くの花見客が訪れる。

西国街道松

寛永10年(1633)、広島藩は幕府巡見使のために西国街道の整備を行い、街道の両側に松の並木を植えた。これが街道松である。松並木は江戸時代を通じて村人の手入れによって美しく整備され、旅情を豊かにした。だが明治以後次第に失われ、現在では桜尾本町に1本を残すのみとなった。胸高直径63?p、樹高11.5m。藩政の世以来、この場所で時代の変遷を見つめてきたであろう街道松は、江戸時代の道路交通の様子をしのぶ貴重な史跡である。

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